Part3 ペルー

ここで、視点を変え、僕たちがETになり、地球人と接触をはかろうとしていると、考えてみましょう。下手にふるまうと敵だと思われ、核攻撃の応酬をうけるかもしれませんので、まずハビエルさん流に贈り物をとなるのでしょう。しかし、そこは、文明がはるかに進んだ星からやってくるETですから、ひとひねり、ふたひねりした、工夫をこらすはずです。ホテルの前の、アマゾン川に沿った遊歩道を歩きながら、1時間ほど考えていましたが、なかなかいい方法が思い浮かびません。

そして、そもそも、知能をもった生命体がこの宇宙に、人類以外にいるという前提が正しくなければ、初めから意味がありません。ドレイクの方程式という、宇宙にどのくらいの地球外生命(ET)が分布しているのか推定する有名な方程式があります。しかし、それによって、仮に知的ETが存在しているとされても、現在の人類と同時に生きていなくては、これも無意味です。この方程式には人類との同時存在の確率の項が抜け落ちているのです。したがって、どんでもなく、間抜けな方程式なんですが。
人類の登場はどんなに古く見積もっても600万年前です。ところが宇宙は137億年前に誕生したと考えられています。そして、仮に文明というほどのものを人類が持ち出したのが10万年前だとします。
すると、10万÷137億=0.000073。これは、1日24時間のうちでいうと、0.6秒にあたります。まさに、まばたきをする時間にもあたらないです。
仮に数多くの10万年の歴史をもつ文明が他の星々に生まれていたとしても、たかが0.6秒なのです。宇宙は広大で深遠ですから、10万年どころか、その100倍の1000万年栄えた超文明があったとしても60秒、つまり1分程度です。
したがって、24時間中、1分程度の文明が、今、どこか遠いところに人類の文明と同時に存在している確率は、1÷(24×60)≒0.0007です。つまり、絶望的に低い確率です。また、時間の流れが、僕たちの地球がある銀河系とは異なっていて、こういう計算自体が意味のない時空に存在しているかもしれません。

すると、ETは「いつ」という時間に囚われないで、接触する方法を考えるはずです。したがって、宇宙船に乗って地球にやってきて贈り物をするというような、確率論的に拙劣な方法は、偉いETであればあるほど、とらないでしょう。また、宇宙の全方向に、自分たちの善意なる意思を伝えるようなメッセージを、例えば電波などで送ることもしません。送ったところで、そのメッセージがキャッチされる確率は非常に低いからです。そういうふうに考えていくと、知能をもった生物というものが、この宇宙にあってはいかに孤独かとういうことがひしひしとわかってきます。

その孤独な超文明のETは、そこでどうするか? 思わず、夜空を仰いでしまいます。星々がかもし出す銀色の蒸気のために、澄み切っているはずの夜空が、かえって曇って見えるほどです。その無数の星を見ていると、この膨大な数の星の中には、必ず人類と理解しあえる知的生物が存在するはずだと思えてきます。ただ、光が到達するにも数億年の時間がかかっているわけですから、今、見えている星さえ、この瞬間にはすでに死滅していることもありえるのです。やはり、知的生物の同時存在の確率が極めて低く、孤独なことには違いありません。

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