Part3 ペルー
タラポトの町にもどり、昼食をしたあと、ラマ族の村に行きました。ここはモトカーで行くには少し遠いので、タクシーを使いました。30分ほどの郊外にあります。小高い丘の上にラマ族の民族博物館があり、そこからラマ族の村が見下ろせるのです。泥でできた茶色の家々には窓がありません。これは、夏には涼しく、冬には暖かいという利点があるそうですが、僕たち日本人にとっては、息がつまりそうではないかと思うのですが。
ラマ族は15世紀にはインカ帝国と並ぶほどの勢力をもっていましたが、戦いに敗れ、この地に逃れてきたとされています。鼻梁が高く、小鼻が広い、独特の鼻の形をしています。
インカ帝国に迫害され、次はスペイン人に征服されたわけで、二重の被征服民族と言えるかもしれません。
民族博物館の門の横にラマ族の民族衣装を着た老婆が座り込んでピーナッツのような物を売っていました。しかし、それはヤシの実でした。1袋が2ソーレス、約6円と安いので買いました。東江さんが、年齢をきくと、78歳。子供が、なんと14人。
旦那も元気に生きているということで、この人はなんと幸せな人だと僕は思いました。生物はDNAを運ぶ乗り物にすぎないという観点からみると、この老婆は非常に効率よく自分のDNAを未来へ伝播しているわけで、最高の生き方の一つだと言えないこともないのです。
こういう観点からすると、中国の一人っ子政策など、もっとも不幸な生き方を国民に強要していることになります。あなたのDNAを増やすことはまかりならんというわけですから。僕たちが民族博物館から出るとき、老婆も丘の下にある自宅に帰ろうとするので、僕たちのタクシーで下まで送ってあげるから、乗ったらどうですかと東江さんが声をかけました。
しかし、彼女は断りました。遠慮しているというより、僕たち外国人を恐れているようでした。門番が、この人たちは、悪い人たちじゃないから、一緒に送ってもらったらというような感じでせかしたので、老婆はやっと僕たちのタクシーに乗りました。
東江さん曰く、ラマ族は二度も異民族から征服されたので、外国人に対して恐怖心があり、異常に強い警戒心を持っているそうです。インカ帝国の征服は、おそらくかなり残酷なものだったでしょう。捕虜は祭壇で生贄にされ、胸を裂かれ心臓を取り出されたかもしれません。また、スペイン人による征服も恐ろしいものだったに違いありません。
馬にまたがり、鋼鉄の武器を持った侵略者たちは、ラマ族に凄まじい恐怖心を煽り立てたのです。スペイン人が来るまで、南米には馬はいなかったのです。大きな体つきの白い皮膚をした、いまだ見たこともない動物に乗る生き物は、さらながらエイリアンだったはずです。これが、現実に500年ほど前におこったということが興味をひきます。
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