Part1 まずはサンフランシスコへ

そのパーティ会場に、日本から着いたアツール君も来ていました。165センチほどのちょっと小太りした、プチメタボの、真ん丸い目をした好感の持てるネパール人の学生さんです。日本政府から給費金をもらって、多和田教授のもとで博士号を取るために、日夜、月桃を相手に研究を続けている、非常に優秀な研究生です。31歳、妻帯者で、子供が1人います。家族を連れて日本に来ています。月に日本政府から15万円をもらっているそうです。しかし、それではアメリカに来る費用はでないので、多和田先生が、飛行機代とホテル代を出されたそうです。
アンナァ~、文部省の役人たちよ、心して聞け! 貧しい国立大学農学部教授のポケットマネーから、あんたらがネパールから呼んだ給費留学生がこれほど重要な学会に参加するための費用を出させる、GDP3位の国がどこに存在するのか! 恥ずかしくないのか! 
またまた、右翼のお兄さんのように叫んでしまいましたが、日本政府の文化というものに対する、この冷ややかな無知蒙昧さは、何とかならないものでしょうか。次の選挙には、無所属で立候補でもしましょうか。あるいは「文明開化党」でもつくりますか。5年後くらいには、軍服を着て、ワシを首相にせよ!と、装甲車で御堂筋を走っているかもしれません。(冗談ですよ、患者さん! 大阪か沖縄の片隅で、おとなしく診療していますよ)。

学会のパーティの最後は抽選会です。会場に入場する前に、地下鉄の切符のようなチケットを渡されていました。そこには、6桁の数字が書かれています。その最後の三桁が当選番号と一致していれば、カルフォルニア・ワインが当たるのです。司会者の女性が、番号を読み上げます。全部で20人ほどが当選していました。多和田先生も、A先生も、アツール君も、僕も、4人ともみんなはずれ。もっとも、僕はアルコール類がいっさいだめなので、当たっても荷物になるだけでしたが。
パーティと言っても、ビールのつまみ程度のものしかでませんから、腹の足しにはなりません。パーティが終わり次第、僕たち4人はチャイナタウンのすぐそばにある、日本料理店に行きました。満席で10分ほど待たされました。経営者は日本人ではなく中国人のようです。煮魚定食のようなものをとりましたが、味はまぁまぁ、値段も12ドルほどで、お手ごろ。はやるわけです。やはり、中国人は商売がうまいのです。日本食のコピーなんてお茶の子さいさいという感じです。
そこで、アツール君に、僕は7年ほど前にネパールに行ったことがあるよ、あの国は好きだよ、もう一度行きたいもんだと、言うと、「センセイ」(彼はまだうまくないのですが、それでもかなり日本語を話せます)、是非来てください、案内しますよという返事です。しかし、アツール君、いつ、ネパールに帰るのときくと、まだ何にも決めていないと言う。留学期間はあと2年あるようですが、本人としては、博士号を取ったあとも、あまり帰りたくない気配なのです。

その理由の一つは給料の安さです。彼はネパールの大学でfood scienceを勉強して、来日する前は、しばらく国家公務員となり、ネパールに入ってくる食品の管理を行っていたようなのです。月給は日本円にすると2万円ほどだそうです。バラモンの出です。いまだに、階級制はインドと同じく根強く残っているようで、彼は最高の階級です。大学卒、バラモン出身、おそらくネパールではかなり社会的地位は高いのでしょう。それで2万円の月給とは、ネパールで何を意味するか、僕にはよくわかりませんが、決して楽な生活ではなさそうです。

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