Part1 まずはサンフランシスコへ
ゴールデンゲイトブリッジの次は、チャイナタウンです。1860年代、鉄道をつくるために中国からかなりの数の人間をクーリーとして移民させたのが、そもそもの始まりだそうです。その数、およそ1万5千人と言われています。漢字で書けば、「苦力」。広辞苑によると、「もとインド・中国の下層労働者の呼称。転じて、東南アジア諸地域の筋肉労働者。クリー」とあります。苦くて(にがくて)苦しい(くるしい)力。語感的に非常にわかります。アフリカから連れて来られた黒人奴隷と、待遇はさほど変わりはなかったのではないでしょうか。
日本人のように二千数百年前から、極東の孤島で、多人種の奴隷も使わず、清く正しく生産にはげんできた単一民族にとっては、マルクスさえ顔色を失うアメリカ流暴力的強奪搾取型イカサマ資本主義は、ほんとのところ理解を絶しているのでしょう。お人よしの日本人には、手に負えないのです。
ゴールデンゲイトブリッジから市内まで行くと思って乗ったバスが、途中で市内のはずれで終点。どうも乗り間違えたようなのです。タクシーもつかまりませんから、地図を頼りにチャイナタウンまで歩くことにしました。
しかし、すぐそこのはずが、歩くと1時間はかかってしまいました。多和田教授は空手できたえておられるから、9時間半のフライトのあとでも、どんどん歩いていかれる。僕は水泳はしますが、歩くのは遅い。しかも、サンフランシスコは坂の多い街です。上ったり下ったり、チャイナタウンに着くころにはくたくたに疲れてしまいました。
しかも、そこは漢字の看板が目立ちますが、どうもチャイナタウンの中心ではなさそうです。20分も歩いているうち、なんとなく通り抜けてしまい、サンフランシスコの中心に入ってしまいました。チャイナタウンで晩飯はチャーハンでもと、二人で話しあっていたのですが、期待はずれ。結局、「バーボンステーキ+ポテトチップ」になってしまいました。
著作権に関する表示:当ウェブサイト内のすべてのコンテンツ(記事/画像等)の無断転載及び無断転用(コンテンツを無断流用した改変の掲載も含む)は固くお断り致します。